*注意*
こちらは文伊のパラレルとなっております。
時は平安、鬼である文次郎がある日泣き声につられて内裏に近寄ってみると、その屋敷には陰陽師見習いの伊作がいた。
こんな感じで物語が進みますが、それでもよいという方のみ下へどうぞ。
















―前篇―

 こどもが、泣いている。
 か細い声で、声を漏らすまいとする嗚咽がする。全くこどもらしくない泣き方だ。
 しかし、それは女のものでも、男のものでもなく、ただのこどものものだった。
「毎晩毎晩飽きもせず・・・」
 文次郎は羅城門の上で溜め息を吐いた。こどもの泣き声はここ何日も続いていた。
 ひゅう、と風が鳴く。
 ああ、いけない。文次郎は思う。
 この風に惑わされてはいけない。人の世に、灯りの下へ身を向けることは文次郎自身の破滅をもたらすだろうに。
 それでも今夜のこどもの泣き声に、文次郎は我慢が利かなくなって立ち上がった。
 とん、と緋色を蹴ると宙に舞う。
 きっとこの風のせい。今夜の風は何やら甘い匂いがする。

 平安京は計算され尽くされた呪術の都市である。
 桓武天皇の怨霊から逃れるため、ときの天皇が建設を命じたこの都市。東西南北に神々の住まう山や川があり、さらには平安京の周囲4箇所にあった磐座を掘り起こし一切経を埋め、二重の結界を張り巡らせてある。さらに平安京の内部に大将軍を祀り、三重の結界を用意する。そして鬼門に、結界の役割として神社仏閣を奉るという念の入れようだ。
「イタチごっこになってるのが分からないのかねえ」
 文次郎は常々思う。鬼や怨霊は人の心の闇にすまうのだ。どれだけ強固な結界があろうと、人の心の薄暗い部分が無くならぬ限り存在できる。

 文次郎はこどもの泣き声に誘われるように内裏に近づいていた。
 普段ならこのような愚行はすまい。陰陽師やら坊主やらに見つかったら厄介である。しかし、危険を冒してまでここまで歩みを進めた理由は文次郎にも分からない。
 一条大路に面したその屋敷から、こどもの泣き声はした。
 文次郎はひらりと塀を越えると、屋敷の裏口のあたりでこどもが蹲っている。肩が震えており、泣き声の発信者はこのこどもであろうということが窺い知れた。
「おい」
 文次郎は声を掛けた。
「だれ?」
 今まで泣いていたこどもは、突然掛けられた声に驚いて顔を上げると周囲を伺った。
 人の、こどもの目には夜の闇が濃く広がるばかりで文次郎の姿が見えない。
「お前の正面の松の上だ」
「だれ?」
 こどもは立ち上がり、文次郎が告げた松の下まで恐る恐る近寄ってきた。
 こどもは齢六つ七つといったところであろうか。闇に解けてよくは分からぬが、明るい色の髪と大きな瞳を持っている。今はその瞳は涙の跡に濡れていた。
「お前、どうしてそう毎晩毎晩泣いているんだ。親にでも叱られているのか」
「・・・」
 こどもは押し黙った。
「気になって眠れやしねえ。あまりに泣いていると鬼に喰われちまうぞ」
 脅しのつもりで言った文次郎の言葉に、こどもはきゃあ、と小さな声を上げた。
「それ、本当?」
「あ?」
「泣いていると、鬼に食べられてしまうの?」
 松の枝に腰を下ろし、幹に背を預ける格好で落ち着いた文次郎は、こどものあまりにも真剣な様子がおかしくなって悪戯心が芽生える。
「そうだぞ。羅城門に棲む鬼に頭から喰われちまう。鬼はお前のようなこどもの柔らかい肉が好きだ。特に泣き虫のな」
 こどもは青い顔をした。
 あながち嘘ばかりでもない。鬼はこういう純粋な子どもの柔らかい肉が好きだ。
「羅城門には鬼がいるの?」
「そうだな、怖い鬼がいる。鬼は人より耳がいい。この三坊からの声でも十分に羅城門に届くのだぞ」
「・・・あんなに遠いのに?」
「ああ。それに鼻も利く。甘い獲物かどうかなどすぐに知れる」
 こどもはぶるりと震えた。
「お前はここの子か?」
 ふと、文次郎は問うた。
「そう。お師さまに習っているんだ」
 ふうん、と文次郎は鼻を鳴らした。もちろん、こどもからは文次郎の姿も、彼が出した微かな声も伺い知れなかったが。
「陰陽師か」
 屋敷に目を向ける。この屋敷はその昔、京の都で名を馳せた陰陽師、安倍晴明が住まいとしていたところだ。彼がいた頃はこの屋敷に近づくことも出来なかった。
 廃れたものだ。鬼である文次郎が敷地に侵入しているというのに人一人、式神一つ現れない。
「分かるの?」
「そりゃあな、ここは昔大層な陰陽師が住んでいたそうじゃないか」
「うん。だから、鬼も寄っては来れないと思うんだけれど」
 文次郎は薄く笑った。こどもの目の前の自分がまさにそれだというのに。
「お前は陰陽師になりたいのか?」
 こどもは首を横に振った。
「ならどうしてここにいるんだ」
「僕は・・・」
 こどもは自らの水干の裾を握る。
「小さいときから鬼が見えるんだ。でも見えるだけでどうにも出来なくて・・・だから」
 成る程、能力をコントロールするためか、はたまた力をつけるためか、陰陽師に師事しているというわけだ。
「そうか、怖い思いをしているんだな」
 文次郎の一言で、こどもは顔を上げた。労われたのが嬉しかったのか、はにかむように微笑んでいる。
「怖い思いをして泣いていたのか?」
「・・・違う。術が怖くて・・・」
 今度は文次郎が微笑む番だった。
「あんなに小さな札で・・・生き物の命を奪ったりできるなんて・・・」
 文次郎には計り知れない術の世界だったが、このこどもは力が強い故か気に病んでいるようだ。
「お前は優しいな」
 こどもは不思議そうな顔をした。
「術はきっとお前の力になるはずだ。怖い術でも、使い方を間違わなければいい。間違わないようにお前がしっかり勉強すればいいんだ」
 文次郎は立ち上がった。
 遥か向こうから足音がする。恐らく検非違使だろう。このような夜更けにこんなところでこどもと会話をしていれば呪力のない人にでも怪しまれることだろう。面倒は嫌だった。
「俺はもう行くぞ」
「あっ」
 こどもが声を出した。
「・・・また会える?」
 文次郎は目を見開いた。
 このこどもには知れていないのだろうが自分は鬼だ。その自分とまた会いたいだなんて、酔狂もいいところだ。
「名前は?」
 こどもは笑った。
「伊作」
「伊作・・・お前がもう泣かないのなら、また会いに来る」
「わかった、もう泣かない」
 こどもの顔からは涙の跡は乾いている。
「俺は文次郎だ。それと伊作・・・真の名前は、正体の知れぬ奴に易々と教えてはいけない」
 それだけ言うと文次郎はひらりと身を返し、夜の闇に消えた。

 文次郎は不思議だ。
 伊作はいつも考えている。例えば伊作が「文次郎に会いたいな」と小さく漏らせば、必ずその夜に文次郎は姿を現す。何となく気配を感じると、決まって初めて話したあの松の上で待っている。
 その夜も、伊作は文次郎の姿を求めて松の下までやってきた。
「伊作」
 やはりそこに彼はいた。
「もんじ」
 文次郎は名を呼ばれるのを嫌がる。真の名前を呼ばれたくないというのはどういう理由だろうか。何にせよ、真の名を通らせたくないとすれば彼は呪術師の類なのであろうと、伊作はそう思っていた。
 だから伊作は「文次郎」とは呼ばない。
「どうした?」
 伊作が文次郎を呼ぶと、彼はひらりと軽やかに松から下り立った。
 伊作は曖昧に微笑んでいる。
「あのね、干し柿を戴いたんだ。お師さまが洛北まで用事に行かれたお土産だって。有名なものらしくて」
 伊作は水干の袖から干し柿を二つ取り出し、片方を文次郎に差し出す。
「一緒に食べよう」
「・・・ありがとう」
 松の下に並んで腰を下ろした。
「俺のために置いておいてくれたのか?」
 文次郎はしばし干し柿を睨んだまま、伊作に尋ねる。
「母様が言ってた。美味しいものは誰かと一緒に食べなさいって」
 伊作は干し柿を齧り、甘いよ、と笑った。
 文次郎も同じように干し柿を齧る。
「本当だ。美味いな」
「よかった」
 伊作と出会ってから一つ年が流れていた。出会った頃と同じように紅葉の錦を纏っていた山々は、今は物寂しく枯葉に埋もれている。
 ふと、伊作が小さくくしゃみをした。
「着てろ」
 文次郎は狩衣の上に羽織っていた上着を伊作似かけてやる。
「でも、もんじは」
「俺はうんと寒いところの生まれで、これくらいの寒さなんか堪えないないんだよ」
 文次郎が笑うので、伊作は嬉しそうに文次郎の着物を羽織る。
「暖かい」
「そうか」
 ああ、いけない。文次郎の頭の中では常に警鐘が響いているというのに。
 人にこんなに入れ込んではいけない。何れは棲む世界を分かつもの。伊作がこれから成長すれば自ずと文次郎の正体にも気がつこう。そのときお互い傷つく。それに、他者に知れた場合文次郎の身も、ともすれば伊作の身も滅ぼすことになりかねない。
 それなのに、文次郎は伊作の傍にいたいと思い始めている。
 この子の行く末を見たい、居心地の良いこの子の傍を離れたくはないと。
 伊作の顔を見ると彼は笑った。
「きちんと勉強をしているか?」
 ああ、これでは親のようではないか。
「うん。だって泣いたらもんじ、会いにきてくれないんでしょう?だから、泣かないように勉強してる」
 愛おしい、そう思う。相手は人の子なのに。
「そうか。顔つきがしっかりしたものな」
 そう言って伊作の頭を撫でれば、彼は嬉しそうな目を細める。
「もんじはいっつも優しいね」
「そうか?」
「うん」
「顔が怖いと逃げられることもあるが」
 文次郎は粗野な形をしているし、言動もぶっきらぼう。目の下には常に隈を持ち、隈のせいで目立った眼はぎょろりとしているものだから。
「もんじは怖くないよ」
 伊作は笑った。
 このこどもが、何を基準に自分に懐いているのか、文次郎には分からない。伊作に自分の素性も明かしたことはないのに、彼はそんな自分にも信頼の念を向けてくれる。伊作と出会って一年が過ぎようとしているが、彼は三日に一度は自分を呼ぶ。他愛のない会話をしたり、今日のように食べ物や土産をくれたり。
 こうしていると人の子であるのに、自分が伊作の保護者のように感じる。
「もう戻れ、夜は冷える」
 伊作の澄んだ瞳が辛くなり、文次郎はそう促した。
「うん。おやすみ、もんじ」
 立ち上がり、伊作は羽織を返そうとした。
「着て行け。俺はいいから。風邪をひくなよ」
 伊作は頷いた。
「じゃあな」
 ひらりと、軽やかに塀の上に飛び乗った文次郎は何かを振り切るように屋敷を後にした。


「喰うのか?」
 声を掛けられて文次郎は闇に目を向けた。
 羅城門に棲む鬼は、文次郎だけではない。彼もその一つ。
「喰う、とは?」
「お主が会いに行っているこどもよ」
 伊作のことか。鼻の利く鬼め。
「いずれはな」
 文次郎は嘯いた。全くその気はない。
「お主も旨いことやったものだなあ、あの童は陰陽師であろう。喰えばお主の呪力となろう」
 子どもの肉は極上だが、それ以上に鬼たちが求めているのは呪力を持った人の肉である。それを喰えば己の力も増大する。
 伊作はまさに鬼にとってはこれ以上ない獲物である。
「やらんぞ」
 文次郎は闇を睨んだ。
「おお、怖い。わしは狙ろうてはおらんわ。お主の恐ろしさを知っているからな。ただ、他の連中は知らぬ。お主の隙をついて・・・」
「黙れ」
 文次郎が厳しい声で制すと、鬼は黙った。
 闇に棲むというのは、この上なく退屈なものだ。
 悠久の闇にその身を沈め、楽しみもなく、快楽も薄く。そんな中で人を喰らうという行為はどれほど甘いものか。
 自分のせいで伊作に鬼たちの目が向いているとすれば、これは由々しき事態である。
 文次郎は伊作を喰らう気など爪の先ほどもない。しかし文次郎にも自分が伊作に近づいた訳は分からなかった。あの甘い風、伊作に感じたもの。それはどちらも文次郎には理由をつけられぬものだった。
「傍を離れねばならんか」
 冬の空気の下で文次郎は独りごちた。
 文次郎が傍を離れれば、鬼どもの目も他に向くだろう。伊作を喰らおうとするものがあれば闇の中で始末をつければよいこと。
 いつかは言わねばならないことだ。伊作に流れる時間と、文次郎に流れる時間は同じではない。今は文次郎の正体を気にも留めていないこどもでも、文次郎の姿がいつまでも変わらないとなれば気づくだろう。
 せめて伊作に忌み嫌われる前に姿を消したい。
 文次郎は羅城門の上で立ち上がった。


 真夜中あたりだろうか。正確な時刻は分からなかったが、伊作はふと目を醒ました。何故か呼ばれたような気がした。
 むくりと起き上がり、外気の寒さに身を震わす。
 そうだ、と行李を開けたそこには先日文次郎が着せてくれた彼の上着が入っていた。
 夜着の上にそれを羽織り、伊作は廊下に出た。
自分でも分からないけれど、文次郎が来ている気がする。いつものようにあの松の上で待っている気がする。
「伊作」
 伊作が裏口から出ると、やはり彼の声がした。
「もんじ」
 その声に応えると、松の上から文次郎がひらりと降りてきた。思わず駆け寄る。
「もんじ」
 懐へ、最も伊作の背が小さいので文次郎の腰くらいに伊作の顔が届く程度だが、飛び込むと、文次郎は受け留めてくれた。
「伊作」
「どうしたの?もんじ」
 自分が彼を呼んでも、彼からこうして呼ばれることは初めてだった。伊作はそれが嬉しい。
「伊作、よく聞いてくれ。俺はな、故郷に帰らなきゃいけなくなった」
「へ?・・・京を出て行くの?」
 伊作が顔を上げて文次郎を見ると、彼は寂しそうに笑っていた。
「ああ」
「・・・うんと、寒いところへ?」
 この間文次郎が言っていたことだ。
「ああ」
「・・・・」
 伊作はきゅっと文次郎の狩衣を掴んだ。
「どうして」
 泣くのを我慢したような、搾り出す声。
「俺の母様の具合がよくないんだと」
 文次郎は優しく嘘を吐く。こう言ってしまえば気の優しい伊作が嫌だと言うはずがないのを知っていて。
「ご病気なの?」
「そうだ」
「ご病気が治ったら京に帰ってくる?」
 伊作はつぶらな瞳で見上げてくる。
 文次郎はたまらず伊作を抱き締めた。
「お前が・・・覚えていてくれるのなら」
 伊作の耳元で、なるたけ平然を装った声は、やはり震えていたかもしれない。もう会えるはずがないのに。
「僕、もんじになら食べられてもよかったのに」
 伊作は確かにそう言った。
 文次郎は伊作の肩を掴み、自分からゆっくり引き離すと彼の顔を見つめる。
「お前・・・」
「僕は、もんじが何であれもんじが好きだよ」
 そう言う伊作の瞳に、文次郎は秀でたものを見た気がした。このこどもはとうに自分の正体を見破っていたのだ。
 文次郎はゆっくり膝をつくと伊作の顔と同じ高さに視線を合わせる。
「俺が、怖くないのか?」
 肩を掴む手に、少し力が篭った。
「もんじは怖くないよ」
「俺は・・・気の遠くなるような時間を過ごしている。それこそ、この京に都が移される前から・・・。そんな中でお前に出会って・・・単調な日々の中でお前の存在がどれほど嬉しかったことか・・・」
「だったら・・・また帰ってくる?」
 伊作は小さく首を傾げた。
 文次郎は言葉を飲み込んだようだが、やがて顔を上げて伊作を見つめた。
「お前が一人前の陰陽師としてこの京に名を馳せるようになったとき、また会えるだろう」
「本当?」
「ああ。だから、しっかりと修行を積むことだ」
 伊作は笑って頷いた。
 そうなれば。文次郎は伊作の成長した様を想像する。
 この秀でた少年が一人前になり、精神的にも能力的にも鬼に脅かされることがなくなったとき。きっと彼はどんな鬼からも狙われることはあるまい。
 そのとき伊作が文次郎をどうするのかは分からない。
 調伏するというならそれもよかろう。悠久の闇の暮らしを伊作が断ち切るというなら、喜んでそれを教授しよう。
 文次郎は微笑んだ。
 ゆっくり顔を伊作へと近づけ、同時に伊作の柔らかい髪に差し込んだ指に力を込め、己の方へ引き寄せた。
 伊作の唇に己のそれを重ねると、彼は一度ひくりと肩を震わせたが抗うことはなかった。
 名残おしい気持ちを抑え、文次郎は唇を離す。
「元気でな・・・」
 言うが早いかひらりと塀の上へ飛び移った。
「あ」
 伊作が声を掛ける間もなく、文次郎は闇に消える。
 後に残ったものは文次郎の大きな上着と、意外と柔らかかった文次郎の唇の感触のみ。
 伊作は自分の唇をゆっくり指でなぞった。
 きっと今着ている文次郎の上着が自分の体にぴったり合うようになった頃には、自分は文次郎が言っていたように一人前の陰陽師になろう。
 伊作は決意した。

 文次郎は羅城門から少し離れた草原で、月を見上げていた。
 どうしてまた会えるなどと言ってしまったのか自分にも分からない。
 だが、出来る限り伊作の成長を見守ろう。そして彼が一人前になった暁には、きっとまた彼の前に姿を現そう。
 心の奥の痛みが、恋に似たものだと思ったとき、文次郎はこの片想いは長引きそうであると、静かに笑った。



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ついに書いてしまったパラレル・・・。
平安時代の陰陽師とかの話が大好きなのです!なので書いててこれくらい楽しいことはなかった・・・!おもしろかったです。
結界とかについては色々調べてみられるのもおもしろいと思います。矛盾がある部分は笑って許してください。すみません・・・。
同人誌では気を遣ってますが、サイトは読むほうはタダ、ってことで好き勝手やってます。こんな話を読んで下った方に感謝します。
では、後編でお会いできると幸い。









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