もうなかないで

「おーい、もんじー。置いてくよー」
 小平太の声に文次郎は振り向いてやっとこちらに歩いてきた。
「どうしたの?可愛い子でもいた?」
 いしし、と覗き込む小平太に、違うよ、と文次郎は彼の頬を軽く引っ張った。

 夏になると色んなところで夏祭りが行われる。忍術学園のふもとの村でもそれは例外ではなくて、僕たち5人は毎年の恒例行事として皆で参加していた。
 いつもの忍者装束を脱ぎ、浴衣を着て、夏の夜を楽しむ。盆踊り、くじ引き、夜店、飴・・・。大人になりきっていない僕たちの心をくすぐる魅力的なものばかり。
 先ほど歩みを止めていた文次郎は、未だ小平太にからかわれていた。よほど可愛い女の子がいたのだろう、ともんじもにくいね、などと笑っている。
 文次郎は少し鬱陶しそうにしているものの、苦笑いで小平太の頭を小突いていた。
「あっ、金魚!仙ちゃん、ほらほら!」
 長次と並んで細工の出店を見ていた仙蔵の袖を引き、小平太は小さな桶の中でひしめき合ってヒレを動かす金魚に夢中になっていた。
 仙蔵も長次も苦笑いで、それでも小平太と共にしゃがんで金魚を覗き込む。
 小平太はムードメーカー。彼がいればその場の空気は一気に暖かくなる。
「伊作」
 しゃがんで金魚を見ている3人の後ろに立っている僕に、隣にやって来た文次郎が声をかけた。
「大丈夫か?」
 僕は一瞬ぼんやりしてしまったが、笑ってみせる。
「うん。大丈夫だよ」
 毎年、皆と一緒に祭りに参加している僕だけれども、度々気分が悪くなって皆に迷惑をかけることがあった。
「君といると平気みたい」
「え・・」
「もんじってオケラみたいだよ」
「はあ?」
 文次郎は片眉を吊り上げておかしな顔をした。僕はそんな彼の顔を見てくすくす笑う。
「どうした?」
 仙蔵が振り返った。小平太は金魚掬いに没頭していて、そんな小平太を長次は静かに見守っている。
 僕はこんな時間が好きだ。そしてこんな時間を与えてくれる彼ら・・・彼が好きだ。
「あっち見に行かないか?」
 仙蔵が金魚掬いで勝負をしようという小平太の挑戦をうけている間に、僕はそう言ってさりげなく文次郎の手を握った。
 彼がその手を振りほどくことはなかった。

「楽しかったか?」
 お互い湯を使ってさっぱりし、布団に入ったのはいいけれど、祭りの興奮が抜けないのか僕はなかなか寝付かれないでいた。出歩いてほどよく疲れているというのに。
 すぐに隣で文次郎が尋ねてきた。
「うん。楽しかった。実を言うと今までで一番」
 僕は首を捻って文次郎を向く。文次郎もこちらに顔を向けていたので、お互いの距離は吐息がかかるほどだ。
 そう、僕らは一年前から眠るときは同じ布団に入っていた。
 寺の次男坊の僕は幼い頃からこの世のものではない者の姿を視、ときにはそれらと遊んでいた。
 成長するにしたがって、僕は彼らの目的を知る。彼らの大半は、隙があれば僕を闇の世界に引き込もうとしているのだ。
 日に日に恐怖が増した三年生の頃、全てを打ち明けた文次郎は約束をしてくれた。
 ずっと傍にいる、傍にいて、怯えているときには手を引いてやる。と。
 当時、酷い不眠に悩んでいた僕と同衾することを提案してくれ、それが今まで続いているのだ。
「もんじお陰で楽しめた」
 不思議と、文次郎の傍にいるときは恐怖も薄れた。向こうに引き込もうとするモノたちの声も薄れるのだ。
「そっか」
「夏祭りと言えば、死者のお祭りでもあるから」
「お前は無理して人に合わせすぎだ」
「うん、ごめん」
 僕だけ輪を崩したくなくて、毎年皆で出かけている夏祭りだが、余計なものを視てしまう僕にはあまり楽しい場所ではなかった。
「でもね、本当だよ。もんじといると怖くないんだ。だから今日も平気だった」
 僕が半分必死で言うと文次郎は暗闇で「よかったな」と笑った。
「オケラ・・・」
「覚えてたの」
 文次郎の呟いた言葉に僕は苦笑いをした。
「オケラってね、植物の名前だよ。薬にもなるんだけどね。お正月のお屠蘇にも入ってる。邪気を払う力があるって言われてるんだ」
 文次郎は黙ってしまった。植物になんか例えられて怒ったのだろうか。
「葉っぱは力強くってね。花も咲くんだけど、綺麗だよ」
 ぷ、と文次郎が笑った。
「なに・・・」
「いや、伊作らしいな、と思ってさ。普通誰かを例えるならもっとメジャーな花にすればいいのに。よりによって薬になる植物だんて・・」
 くすくす笑いながら「この万年保健委員」といわれた。
「もう。・・・悪かったね、地味で」
 言うと僕は頬を膨らませ、ふくれたフリをして顔を文次郎から暗い天井へ向けた。
 会話はそこで終わるものかと思っていたが。
「なあ、伊作」
 何かを決心したような文次郎の、小さいながらも強い声がした。
「なに?」
 僕は天井を向いたまま答える。
「今日こへに、可愛い女の子でも見てたんじゃないかってからかわれただろう?あの時、女を見てたんじゃない」
「ああ・・・」
 知ってるよ。
 文次郎が心を奪われていたのは可愛い女の子でも綺麗な人でもなかった。
「幸せそうな家族だったね」
「分かってたのか」
 分かるよ。僕はいつも君のことを見ているんだから。
「女々しいだろう。一流の忍者を目指してる奴が」
 文次郎の母親は、彼が幼い頃に亡くなったのだと聞いている。君は幸せそうな家族連れに自分の記憶を重ねているのか。
「普通だと思うよ」
 僕は文次郎を向いた。
「誰かが恋しいとか、それが親兄弟への思いなら尚更、なけりゃおかしいんじゃないの?弱いとか、そういうんじゃなくて」
 僕の父が言っていたことだ。
「これからもんじが卒業したり、一人前の忍者になったりしたときにいつも思うと思うよ。母上がいたらきっと今の自分を見て喜んでくれるんだろうな、って。そういうのは普通だよ。家族がもんじを愛してくれた分だけ強く思うことなんだよ」
「伊作・・・」
 文次郎はふう、と息を漏らした。
「お前・・・寺の坊さんみたい・・・」
 ガクー。
「まあ寺の次男坊だから・・・ってお前・・・人がせっかく慰めてやってんのに」
 文次郎は照れ隠しのようににやっと笑った。
「嘘だよ。ありがとうな」
「いいえ」
 ありがとうなんて言わなくていいよ。僕は君が自分の弱いところを見せてくれただけでこんなに嬉しいんだ。
「なあ、・・・・・俺の母親も・・・・視えるか?」
 学園一忍者していると言われている男の、最も忍者らしくない問いだった。それでも彼が聞きたかったものなんだろう。
「・・・」
 文次郎は僕の答えを息をするのも忘れるくらいじっと待っている。
「・・・笑ってるよ。あのね、もんじのお母さんでよかったって」
 僕は笑った。
 その僕の顔を見て、文次郎は一瞬顔を歪めたかと思うとぐいっとこちらに体を寄せてきて、僕の肩口に顔を埋めた。
「・・・ありがとう、伊作」
 彼が少し震えているように感じて。僕は腕を伸ばして彼の髪を撫でた。
「ねえもんじ、僕が傍にいるよ。仙蔵だって長次だってこへだっているよ」
 一年前に彼が僕に言ってくれたことと同じ言葉。
「・・・ありがとう」
 文次郎は小さく言って、僕の肩口を離れなかった。僕はずっと彼の髪を撫でていた。心の中で彼に語りかけながら。
 ねえもんじ、もうなかないで。








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